ネット副業の水先案内人、
水先なおとです。
今回はいつもとは趣向を変えて、
ボクが2023年に本業で起業したときの
奮闘記を書いてみます。
当ブログ「弱者の銭術」は
副業関連の情報を発信する場ですが、
たまには箸休めとして
こんな記事もアリかなとw

ボク自身の息抜きであり備忘録のつもりでもあります。
いっそ副業を本業にしてエンジン全開…
という選択肢もあったなか、
なぜあえて社員を抱えてまで
急遽会社を起こすことになったのか?

それも本来サラリーマン気質で起業などまったくアタマになかったこのボクが…?
自分的には苦難の体験でしたが、
傍目にはオモシロ可笑しいでしょうし、
読み物として
楽しんでいただければと。
意外と誰かの、
または何かの
お役に立てるかもしれませんし。
まずは前段として、
起業するに至った
いきさつと決意の決め手から。
では参ります!
コメダで社長から告げられた「もってあと1年半」

プロフィールでも書いていますが、
ボクは長年勤めた会社が
いずれ立ち行かなくなることを
何年も前から予測していました。
それが現実になったのが
2021年の暮れ。
打ち合わせに出かける間際、
社長から
「ちょっと話あるんだけど」
と呼び止められました。
約束の時間まで少し余裕があったので、
「10分くらいなら」と言ってみたところ、
「ウーン、、ちょっと長くなるかも」
と社長。

その瞬間ピンときましたね。
「あ、ついに来るべき時が来るな」と。
とりあえず戻ったら話すことにして
出かけたのですが。。
打ち合わせの最中も
アタマの中は
大シケの海みたいだったことを
覚えています。
その日の夕方、
会社の近くのコメダで
社長と話しました。

むろん予感は的中です。
会社の余命は
「もってあと1年半」とのことでした。

なにも年の瀬に宣告しなくても…ねえ。
ちなみに社長は2代目で、
創業者の前社長とは
血縁でも何でもありません。
もともとボクより5歳上の先輩社員で、
前社長の引退を機に
繰り上がった人。
要領の良さだけで生きてきたような
根っからの楽天家で、
傾いた会社を立て直すような
情熱も力量もなかったです。
社長は自分の至らなさを
素直に詫び(悪い人ではないので憎めない)、
ボクに今後の身の振り方を
聞いてきました。
彼は以前から
ボクに社長の座を譲りたがっていまして、
それをボクはずっと固辞していた経緯があります。

膨らみつづける負の遺産を引き継ぎたくなかったし、社長の(ある意味)勝ち逃げを許すことになるのでw
とりあえず
「正直まったくノープランです」
と答え、
その日はお開き。

まだ1年半ある、というのがせめてもの救いでした。
Xデー迫る

それから1年が経ち、
迎えた2022年の年末。
あらためて社長から呼び出されました。
場所はやっぱりコメダでw


なんとか状況が好転することを祈りつつ、ボクなりに頑張った1年だったのですが…
結果は変わらず。
延命の余地もありませんでした。
Xデーは
いよいよ半年後に迫っています。

まさに“今そこにある危機”。
前回は
ボクを追い詰めることはしなかった社長も、
さすがに
「年明けには考えを聞きたい」と。
「どういう答えを出そうと応援するから」と。

そう言われましても…ねえ。
1年前もそうでしたが、
この時の年越しは
さらに暗~い気持ちで過ごしました。

マジで冬休みどころじゃなかったな〜苦笑
悩んだ末に5つの決め手で起業を決意

悩んだ末、
ボクは最小限の社員を連れて
新しく会社を起こそうと決意しました。

↑こういうと聞こえはイイですが、消去法で残った結論でもあります。
この決断には
5つの決め手がありました。
年齢的に再就職はありえない
決め手の1つは自分の年齢。
50代も後半にさしかかって、
今さら別の会社や違う仕事で
再就職なんて
イバラの道でしょう。
なので、
これはナシ。
築き上げてきたものを無にしたくない
決め手の2つ目。
プロフィールで、
ボクは
“30年以上ぬるま湯にドップリだった”
と書いています。

それだけ居心地のいい(ユル~い)会社で、仕事内容も好きでした。
全員じゃないけど、
苦楽をともにしてきた仲間への情もある。
懇意にしてくれるクライアントにも
恵まれていました。

それらをすべて無にしてしまうのは偲びないし、もったいない。。
コピーライター(ボクの専門)として
1人で独立するという選択肢も考えましたが、
抱えていたレギュラー案件は
デザインも必須。

フリーのデザイナーと組むにも、彼らだって自分のお得意さんが優先で、いつも仕事を請けてくれる保証はありません。
築き上げてきたルートや信頼を
壊さないためは、
デザイナー完備の会社を
つくるしかありませんでした。
機が熟した(と思えた)
決め手の3つ目は、
再就職には圧倒的に不利な自分の年齢が、
会社を起こす上では
逆に有利になると思えたこと。

よく言われる、“機が熟した”というやつですね。
じっさい、
事業資金を借りるときは
の「2つの要件から優遇!」とやらで
金利が低くなりました。
思ってもいなかったのでラッキーw
一時は
「ムダに長かった」と悲観した勤続年数も
“社会的信用”として
評価してもらえましたし。
信頼できる仲間(後輩)がいた
そして決め手の4つ目。
気がつけば、
そこに信頼できる
仲間(後輩)がいました。

ボクのいる広告業界はもともと人の出入りが激しい世界。
上昇志向の強い人間が多く、
より条件のいい、より大きな仕事ができる
会社を見つけては去っていきます。
で、ゆくゆくは
フリーランスになるパターンが多いですね。
結果的に、
もといた会社の末期に残っていたのは
安定志向派組(ボクを含めw)。

言っちゃえば地味なタイプなワケですが、経営者の立場からすると、ある日とつぜん抜けられる心配がなく計算が立ちます。
なかには
しょ〜うもないヤツもいましたが、
3名ほど「欲しい」と思えるスタッフが
残っていました。
コロナ禍によるリモートワークの定着
最後の決め手は
コロナ禍のおかげ(?)で
世間的にリモートワークが定着していたこと。
なので、
オフィスを“構えない”という
大きな思い切りができました。
起こした会社はボクの住まいを本社登録して、
全員が在宅勤務、
リモートオンリーで仕事するスタイル。

社員どうしは必要に応じてメールか電話でコミュニケーションをとるくらい。
これができるのは
上項で話した信頼の賜物で、
“この面子ならズルしたりサボったりしない”
という確信があるから。
おかげさまで家賃や交通費はゼロ、
大幅にランニングコストを減らせて
かなり身軽な状況を実現できています♪
今回のまとめ
今回は番外編として
ボクが本業での起業を決意するまでの
いきさつをお話しました。
いかがでしたでしょうか。
長年勤めて慣れ親しんだ会社が
立ち行かなくなったのは
人生最大の危機でした。
でも、
消去法と成り行きとはいえ、
その気になれば起業できる状況にあったのは
とても幸運だったと思っています。
おかげさまで、
今月(2月)は初の決算も迎えます。

今のところ、黒字と赤字のどっちに転ぶか判らずハラハラドキドキですw
まあ初年度ですし、
人数分のMacを揃えるなど
設備投資もそれなりだったので、
かりに赤字でも想定の範囲内ですケド。
顧問税理士からも
「キャッシュフローはそれほど悪くない」
とは言われてます。

ただこの税理士、イマイチ当てにならないw
そのお話も含め、
続きは追って投稿していくので
楽しみにしていただけるとウレシイです。
本業あってこその副業ですから、
引き続き両輪でガンバリます!
本記事は以上となります。
最後までありがとうございました!

水先なおとでした。
無料メルマガ「水先“案内”」始めました
当ブログ「弱者の銭術」管理人、
水先なおとのメルマガ始めました!
タイトルは「水先“案内”」です。
ブログが公の場なら、
メルマガは私的な場。

表立っては言えない裏話やホンネ、とっておきのレア情報などなど、出し惜しみも遠慮もなく書いちゃいますよ~
登録はもちろん無料、
配信解除もいつでもOKでノーリスクw
ぜひお気軽にどうぞ!
無料相談受付中
当ブログ「弱者の銭術」では
無料相談も受け付けています。
いろんなネットビジネスを探究しつつ、
実際に3つのブログを運営しているボクが
おすすめする副業を知りたい方も
コチラからお問い合わせくださいね。
もちろん、
それ以外のお悩みもお気軽に!
ネット副業の水先案内人、
水先なおとでした。
コメント